​代表挨拶

 こんにちは。特定非営利活動法人 日本過眠症患者協会の代表をさせていただいております朝井香子と申します。よろしくお願い致します。

 

 当患者会は睡眠障害の中でも特に特発性過眠症、クライネ・レビン症候群、ロングスリーパー、二次性過眠症などの希少疾患にスポットをあて、活動しております。

 日中の耐えられない眠気は大事なシーンで寝てしまったり、怠けているなどのレッテルを貼られたり、長時間睡眠を必要とする病態は学校に行くことも就労することも出来ない事態に陥っています。社会では正しく理解されていません。

 また、過眠症は障害認定も難病指定もされていない「狭間の疾患」として位置しています。そのため何の社会保障も受けられず、治療を諦めてしまう人も多々存在します。

  ・過眠症の診断を受けても病院を変えると診断名が変わってしまう。

  ・近くに過眠症を診てくれるお医者さんがいない。

  ・根本治療薬はない。

など、問題は山積みです。その中でも睡眠時間の問題は日本では軽視されています。必要な睡眠時間は個人によって違う事をご存知でしょうか?6時間で平気な人もいれば平均的な8時間睡眠の人、実は10時間の睡眠が必要な人など、さまざまなのです。そして、8時間以上の睡眠が必要な人は、毎日必要な睡眠時間を確保できないので睡眠負債が溜まっていき、日中の耐えられない眠気に襲われます。この症状は過眠症と同じです。つまり、自分の本当の必要睡眠時間を知らない日本人は、日中の眠気=過眠症、となってしまいがちなのです。何が違うのかと申しますと、睡眠不足の人は薬は必要ありません。本当は必要ではない睡眠不足の人に過眠症の薬が処方されているケースが患者会では報告されています。これは睡眠専門医が少ない事に加え、寝ずに勉強すること、仕事することが美徳とされる日本の悪しき文化に原因があるのです。日本の社会自体が変わる必要があります。

 また、不登校児の中には少なからず、過眠症が原因の児童もいると考えています。睡眠は誰でも取るものですし、眠気も感じます。まさか自分の感じている眠気が病気だとは夢にも思わないものなのです。そこで周りが気づいてあげることの大切さを改めて、特に小学校、中学校などの先生に知って頂きたいと思っております。

 患者会では、会員同士のピアサポートは勿論のこと、少しでも過眠症の認知を上げるための啓発活動や、法改正などにも尽力してまいりたいと思っています。

疾患について

 私はクライネ・レビン症候群を患っております。幼稚園の頃から良く寝る子で、夏休みや冬休みなど長期の休みに午前中に起きていた記憶がございません。夜更かしをしていたわけではありませんが、1日に16時間以上寝ていることがたびたびありましたが、親は「疲れているのね」と問題視しませんでした。小学校に上がると、冬になるとよく休む印象で、2月はまる1か月休んでしまったこともありました。その時も親は「風邪で体調が悪いのが続いている」と思っていたようです。中学、高校、大学も多く休みましたが、成績がついていっていたので、先生も問題視してはくれませんでした。今思えば、いろいろなことを若さで乗り切っていました。そんな私も6年生の大学を卒業し、獣医師となり、そのまま大学院へ博士号を取るために進学しました。そのころから症状が悪化し始めました。と言うよりは、若さで乗り切れなくなったという方があっているかもしれません。やはり1か月ほど寝込んでしまうことがたびたびありましたが、教授は「この子(私)は倒れて寝込んでしまう子だから」というキャラクター付けをされ、悪いようには扱われませんでした。

 どこかがおかしい。私は病気だと思う。

そう思って、病院へ行っても異常はありません。内科、心療内科、精神科、循環器科、脳外科、婦人科、総合診療科など数々の病院、科を訪れましたが、どこも異常なし。

 異常がないなら、私は留学しても大丈夫だと、アメリカに単身渡ります。ポスドクとしてフロリダ大学の研究室で働き始めました。

 今までは、長期に休んでも学生だから許されました。けれど、恐れていたことが起きてしまったのです。

 無断欠勤です。

 その時、具合が悪いけれども、なんの病気なのか、まだ判明していませんでした。雇ってくれた教授はあなたが悪いんじゃない、病気が悪いんだと言ってはくれましたが、仕事は自主的に辞めざるを得ませんでした。

 直感的に、今産まないと子供が産めなくなる、そんなことを思い、日本に戻ってから自分の病気に向き合うのではなく、無理やり子供を出産しました。なんとなく脳の病気なのだろうと思っていたのです。医学的な知識のある私は脳に効く薬を服用したら妊娠は望めないと思ったのです。その頃が今思えば一番症状が悪かった。1か月で起きてられるのが1週間もありませんでした。3週間以上の過眠期が毎月来るのです。それでも、子供を諦めたくはなかった。

 やっと二人の子供を出産し、母乳が終わると、そこからドクターショッピングを始めました。また、いろいろな病院、さまざまな科に行きました。

 どこか、内臓が悪いのではないのかと内科に行き、心の病ではないのかと心療内科や精神科に行き、毎月具合が悪くなるので生理と関係があるのではないかと婦人科に行き、慢性疲労症候群ではないのかと専門の先生に見てもらい、総合診療科で調べてもらったり、心臓が悪いのではないかと循環器科に行ったり、脳外科に行ったり・・・・。

 最終的に残ったのが睡眠でした。毎日毎日昼間眠いのは、夜眠れてないせいだろう、自分は不眠症なのだろうと、疑って睡眠外来へ行ったのです。そこで、やっと・・・・病名が判明したのではなく、言われたのは周期性四肢運動障害という睡眠障害でした。それでも、やっと私に病名がついたと嬉しかったのを覚えていますが、なぜか腑に落ちなかった。周期性四肢運動障害でこんなに具合が悪くなるものだろうか・・・。

 ちょうどその時、夫の転勤で千葉に引っ越すことになりました。それと同時に千葉の睡眠専門医のいる病院を紹介して頂いたのです。それが運命の出会いでした。千葉のその病院でやっと、クライネ・レビン症候群と診断されたのです。その時、37歳。4歳からまさに33年間もドクターショッピングに明け暮れていたのです。

 治療法はない。しかし、腑に落ちる病名に出会えてどんなに安心したことか。

 しかし、私の担当医は対症療法を試してくれました。それにより、今では病気をコントロール出来る所まできています。ひどい過眠期にはやはり寝込んでしまいますが、子供の塾の送り迎えも、PTAの仕事も、患者会の代表の仕事もできるようになったのです。(でも、フルタイムの仕事はやはり、無理ですね)

 クライネ・レビン症候群と判明してから、私なりにいろいろ調べました。当時この患者会にたどり着くことは出来ませんでした。患者会がないなら自分で作ろうかしら、などと考えていた時に、ダメもとでもう一度と、検索してみたのです。そして、この患者会にたどり着きました。それはなんと去年(2019年)のことです。

​ 私はすぐに理事になりました。その後は上記の通りです。何のめぐりあわせか、この患者会に出会って2か月ほどで代表になりました。右も左もわからず、ただがむしゃらに活動を行ってきました。今もその最中です。小嶋は体調が悪いながらも理事に残ってくれています。しかし、岡地も布田も辞めてしまいました。長く務めることがいいことであるわけではありませんが、目標をもってそれをやり遂げるためには月日も必要だと思っております。私に何が出来るのか、私たち理事はどこへ向かうべきなのか、会員の皆さんと共に一緒に歩んで行けたらと思っております。

© 2017 NPO法人 日本過眠症患者協会

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